【アラ還マラソン練習日記】55歳から走りはじめて第5シーズン入り!続ける秘訣

何事も継続は力なり、を信じています。

続けられるものもあれば、そうではないものももちろんあり…

大嫌いだった「走る」ということが続いているのは自分でも不思議です。

1. 走るきっかけ

運動といえばエアロビクス、と思ってエアロビクスやジャズダンスなど

音楽とダンスの組み合わせを楽しんでいた自分ですが、

50歳になったとき、(2008年5月)

「人生の半分は過ぎたなあ…じゃあ、これまで

やっていなかったことをやってみようかなあ」と

ふと思い立ちました。

それから2009年、2010年と少しずつ

走るようになりました。

2. すこしずつ続ける…まだまだマラソン以前

2010年1月17日のmixiに載せていた記事の一部にこのような書き込みが

ありました。

いつまで続くかわからないけど、とりあえず槍ヶ岳、剣岳に行けるだけの体力・筋力をつけるために始めたジョギングとマシントレーニング。少し筋肉痛をおこすぐらいまでやらないと効果がない(筋肉には負荷が必要なのだ)のだが、特に苦手なジョギングでは、少し走るとつい歩幅が狭くなってしまう。今日も走ったが追い抜かれることはあっても、私が追い抜くのはウォーキングしている人だけ。どんだけ遅いんだ… でも、気持ちにも負荷をかけるために(まあ、頑張れよということだが)、写真のようなジョギングシューズを新調した。今までウォーキングシューズで走っていたが、これで本格的に「走り」に気合が入った。 

最初のジョギングシューズ

その3か月後、2010年4月18日の日記です。

今日も走りました。4キロ28分。遅いけど、今の私には精一杯。
最初に前を走っていたメタボ予備軍ぐらいのお兄さんについていこうとしたのですが、
基礎体力の差、筋肉量の差、ぜんぜんおいつかず、駒沢公園ジョギングコース2周終わるころには逆に追いつかれそうになっていました(つまり、周回遅れってこと)
心肺機能としては走れると思うのですが、やはり筋肉の弱さでしょうか。
足がちっとも上がっていない、と伴走の夫に言われました。もっと筋肉つけてもう少し身軽に、風のように走れるようになりたいです。

そしてさらに3か月後、2010年6月17日の日記。
年頭に今年は筋肉増強を目標としたのだが、初心はすっかり忘却のかなた。まったく筋肉が増えていないばかりか、久しぶりに走った駒沢公園のジョギングでは体が重くて仕方なかった。
せっかく4キロ自信をもって走れるようになったのに、今年は休日に雨がおおかったことと様々なイベントでつい走ることを怠ったら…また苦手意識が出てきて走れない。
先週はようやく2キロ16分。遅い!けど走らないよりまし。
来週はもっと距離を稼げるよう、頑張ろうっと。
そして半年後、2010年12月30日の日記です。かなり成長?しています。
一度60分間走る続けることができるか、ということを試してみようと、ここしばらく考えていた。
で、今日走ってみた。駒沢公園を4周、8キロ走れた!たぶん、人生で60分間走り続けたことはこれが初めてである。
体力はあるみたいで、息があがるということはなかった。ただし、ピッチが遅い。4周している間、歩いている人以外、誰一人追い抜くことはできなかったが、追い越している人とピッチを合わせて走ってみると、確かに追い抜く人の走りは私よりもかなりピッチが速い。それに歩幅をかけるのだからどんどん追い抜かれるはず。やはりポイントは太ももの筋肉か?さらに、マリリン(ライディングスクール)での課題は、腹筋背筋を鍛えて制御力をつけること。来年も細マッチョになることが目標になる。課題はわかった。生まれて初めての60分走もできた。来年に向けて、いま、いい助走ができていると思う。
そして2011年1月1日の日記。初めて10キロ走った日の翌日。

2010年12月30日、自分にとって未踏の8000メートルを走ったことは日記に書いた。31日、それ以上に未踏の境地を目指したくなった。10000メートル。10キロ。(正確には10500メートル)駒沢公園5周。

5周走って追い抜いたのはたった一人、ほぼ80歳に近いであろうご高齢のおじさま。
追い抜かれたのは数知れず(いつもどおり)。

でも、走った!走れた!

最後の1周は自己ペースの15分を少し超えてしまったが、とにかく走りとおしたぞ。
また新しい世界が開けたと思う。やればできるぞ。

3. 転機:東日本大震災と勝間塾

2011年は私にとっても日本にとっても大きな転機となる

年でした。

3月11日、東日本大震災が発生しました。

その春は日本中大騒ぎで、特に東京付近は、

福島の原発事故への心配で

屋外での運動は一切というほどできなくなり、

「自粛」ムードとなっていました。

しかし、徐々に日常を取り戻し、

自粛するよりも「復興を支援するためにも経済を活性化させよう」

という流れになり、

9月には新たな勉強の機会を求めてその年3月に産声を上げた勝間塾に入塾。

そこでランニングクラブに入ったのです。

最初は軽いお誘いでした。「皇居を走りませんか?」

そして誘われるままに2011年11月には皇居を2周、最初のチャレンジ以来

走っていなかった10キロを走ることができたのです。

そして、これまで1人でやっていた活動に仲間ができました。

仲間とともに練習をしているうちに、ついにこんな日がきました。

2013年2月26日の日記です。

「パパを越えた日」

今年に入ってから25キロ/月を目標に(ささやかですが)5月の谷川真理駅伝をきちんと走れるよう、出来るだけ時間を作って走っている。

先日は久しぶりに夫と2人でのジョギング。夫は、お正月に頑張って走ったが、その後は忙しくて全然走っていない。でも陸上部出身。いままで、いつも最後は置いていかれていた。

ところが、今回は違った。

いつも苦手な緩やかな上りでも、自分はあまり速度が落ちなかったのだ。

気をつけたことは、うなかつランニングクラブの年明けの合宿でエアロビクスセンターのランニングクラブの人にアドバイスを受けたふたつのこと。

一つ目、走るときの姿勢をよくして空気を胸に入れやすくすること。
二つ目、上り坂では腕の振りでリズムをとること。

このアドバイスを思い出しながら走り続けていると、何とか速度をあまり落とさずに走ることができたのだ。

一緒に走ってきた夫の息づかいが段々後ろに消えていく。あれー、いつもなら(駒沢公園)3周目は、おいていかれるパターンなのに。

駒沢公園3周(1周2150m)を走って1分半ぐらいの差をつけて、とうとう夫より早くゴールした。一緒に走りはじめて、何年目かで、初めて先にゴール。

私が特別早くなったわけではない。単に、ほんの少しでも、継続していたかどうか、それだけの違いなのだ。まさに兎と亀の世界。

今度一緒に走るときはまた、おいていかれるかもしれないが、それでも、少しずつでも努力を続けているだけで、もともと力のある人を超えるときもある。

走ることに限らず、それは、何にでも通じることだろうけど、走ることが苦手な自分にとってはかなり遠いと思っていた目標が少し近づいた日だった。

また、頑張ろう。

4.  東京マラソン当選

こんなことがあってから2013年9月にはなんと東京マラソンに

初当選。

しかし、それまでは最長で10キロしか走ったことがない。

当選から4か月でフルを走れるよう、こつこつと練習を続けました。

練習メニューは、走る仲間が作ってくれました。

そしてついに2014年2月、「初マラソン、初完走」を果たしました。

そのときの記事はこちらに➡️

54歳で初マラソン・初完走の初心者トレーニングメニューたったひとつのルール

勝間塾に入ってランニング仲間ができ、

続けることが楽しくなったのです。

5. 乳がんとマラソン

歓喜の初マラソン、初完走でしたが、

その年の定期検診で乳がんが見つかりました。

抗がん剤治療もする、という悪性度の高い乳がんでした。

しかし、なんと2015年にも連続して東京マラソンに当選していたのです。

多くの落選者がいるなかで2年連続の当選!

これは私に「走れ」と言っているような神様のお告げではないか?

医師が「(体力的に)無理でしょうね」と言っていたなか、

抗がん剤治療中もコツコツと練習を続け、

一年前より45分も遅い記録でしたが、

完走することができました。

「走ると男性ホルモンがでるから

乳がんにはいいんですよ」と

2015年から毎年通っている断食サナトリウムである

「ヒポクラティックサナトリウム」の

石原結實先生もおっしゃっており、

マラソンは私にとっては「治療薬」なんだ、とあらためて

続ける気持ちになりました。

6. 後期高齢者まで、そして100歳まで…

その後も、あまり速くはならないものの

シーズンには秋に1本、春に1本出走すると決め、

2018年3月までに10本のマラソンを走りきっています。

おかげで霞ヶ浦、大阪、金沢、名古屋、富山、静岡、福島、大阪(間寛平)…

いろいろなところに行っています。

遠征は大抵1人で行きます。

一人旅も楽しいです。

このようにして、これからもいろいろなマラソン大会に

参加したいと思っています。

できれば後期高齢者まで。そうするとあと30回走れます。全国の

大会を制覇できるかもしれません。

そして100歳まで走ると…きっと全国制覇です。

楽しみです!

7. 続けるコツは?

ズバリ、「仲間と目標」の2つです。

2度目の東京マラソンのときは、

髪の毛が抜けてしまってあまりにみっともなかったので

1人で練習をすることにしていました。

しかし、やはり1人練習には限界があります。

特に「インターバル」などのキツい練習、暑い時期の練習は

1人では躊躇してしまいます。

勝間塾のランニングクラブは、それぞれの環境が変わってしまって

いまはあまり活動しなくなり、寂しいですが、

やはり私を支えてくれたのはその「うなかつランニングクラブ」なので

復活を待っています。

2017年になって、地元のランニングクラブに参加することにしました。

行ける時しか行かないのでレギュラー会員ではありませんが、

いい練習をさせてくれます。

トラックを使って「高校生」のようなガチ練習です。

レベルの高い選手が多く、私はいつもビリを走っています。

ビリでもいいのです。勝ちたいのは「自分」なので。

目標を達成するためには習慣が大事です。

目標は還暦自己ベスト。2014年に出した4時間38分40秒という

初マラソン、初完走の記録を破りたい。

練習を習慣にするためにも仲間は大事。今は職場の仲間と

「やらないと気持ち悪い」ぐらい少しずつでも

練習時間をコツコツ稼ぎ、習慣化しています。

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この記事を書いた人

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大野 清美

1958年大阪生まれ、大阪育ち。子どもの頃の夢だった「留学したい」を37歳で実現。3児を育てながら米国NY州コロンビア大学国際関係学大学院を卒業しました。帰国後は英語を使って仕事を続け、今後は「自分の人生を変えてきた」英語を教えたい!と修行中です。
趣味はマラソンとモーターバイクでのツーリング(愛車Honda VTR)です。
(2019年4月記)