振り返ってみれば-東京マラソン2015と乳がんとの日々

東京マラソンの先行抽選結果発表がありました。先行には落ちたけど、まだ一般抽選があり、さすがに1000分の一(10人にひとりしかあたらない抽選を2年続けて受かった)はないだろうと思いながらも少しは期待しています(笑)

3月に前のブログに書いた記事を思い出しましたので再び。ずっと周りの人に伝えたかった思いです。


2月22日の東京マラソンは5時間25分という時間でやっと走りきりました。

振り返ってみれば、今まで生きてきた中で一番苦しい2014年の冬を支えてくれたのが、このイベントであった、と実感します。

ウィークデーは2回の朝4時半起き10キロ走、週末はロング走を組み合わせ、とにかく「スタートラインに立つ」それだけを目指して走り続けた日々。ほかのことを考える余裕も必要もありませんでした。スタートすれば、38キロ地点には仲間が待っている、それだけを希望に練習を続けてきました。

7月の手術、8月−9月に6週間通った放射線治療、11月からの抗がん剤治療。がんそのものは風邪よりも軽いわずか5ミリの小さな腫瘍。だけど抗がん剤の副作用はきつかったなあ。まるでパンドラの筺を開けた時みたいに次から次へと出てくる身体の不具合ー脱毛、発熱、便秘、口内炎、味覚障害、発疹(ほっぺは発疹で林檎みたいになりました)、膀胱炎、貧血、疲労、睫毛がなくなって守るもののない目からは歩くだけで涙が流れるーなどなど…

東京マラソンに出るこの一念がなかったら、おそらく自分はそうした身体の不具合の中で溺れて冬眠するような冬をすごしていたと思います。だけど、そうはしたくなかった。自分では忘れていましたが、友人に「私がマラソンに出ることは西洋医学への挑戦」と言っていたと。そう、主治医に「無理」と言われて思わず負けず嫌いな自分が覚醒してしまったのですね。

東京マラソンの競争率は約10倍、2年連続で当たった自分は100人に一人の自分。これは、神様のギフトだと、このことには何か意味があるのだと、そう思い続けたことで辛い冬を乗り越えられたのだと感じるのです。

IMG_1256どんなに苦しくても、「希望」は常に残されている。ありきたりのことかもしれないけど、東京マラソンへの意地?が自分を支えてくれた、あの42.195キロを振り返るとき、そのことを実感します。
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この記事を書いた人

大野 清美

大野 清美

1958年大阪生まれ、大阪育ち。子どもの頃の夢だった「留学したい」を37歳で実現。3児を育てながら米国NY州コロンビア大学国際関係学大学院を卒業しました。帰国後は英語を使って仕事を続け、今後は「自分の人生を変えてきた」英語を教えたい!と修行中です。
趣味はマラソンとモーターバイクでのツーリング(愛車Honda VTR)です。
(2019年4月記)