アラフォー子連れ正規留学⑤アメリカの私立大学大学院に通うのにいくらかかったか?

通学の問題ー車通学に決めたこと

ベビーシッターの手配、という課題はクリアーし、次は資金の問題です。

1. アメリカの私立大学大学院に通うのにいくらかかったか(1995年-1996年)

大学からの請求書が残っているので計算してみました。

  • 1995年  7月 サマーコース $1707
  • 1995年  9月 秋学期    $10682
  • 1996年  1月 春学期       $10667
  • 1996年    6月  夏授業    $3723(インターン)
  • 1996年  9月    秋学期              $11282
  • 1997年    1月     春学期              $11292

合計すると、$49353を授業料に使っています。

これって、1995年-1996年のレートで換算すると、1ドル100円ぐらい。

円高だったので「ちょっとホッ」という感じですが、

だいたい500万円を授業料だけで遣っていることになりますね。

2年で500万…エェーーーーーー!(いまさら)

そして、さらに託児(学童保育、幼稚園の延長保育、そしてベビーシッター)に

1学期2000ドルぐらい遣っていました。

おまけに車通学のための駐車場。4学期と夏休み合わせて

合計10000ドルはかかっていたと思います。

大学院に通い続け、学位をとるのに600万円遣ったことになります。

2. 資金源は用意していたか?

ニューヨークに夫が赴任する前も、また、ニューヨークに行ってからも

私は翻訳の仕事をしていました。

当時、インフラが整いつつあったインターネットを使い、

日本にいたときはアメリカの会社から受注、アメリカにいるときは日本から受注。

原稿をファックスでもらい、eメール添付で翻訳文を納入するという、個人規模では

かなり先端を行っていたと思います。

でも、所詮、「内職」。

それほど大きく稼げた訳ではありません。

当時流行っていた財テクなんかもしていないけれど、

細々と貯金はしていました。ゼロ金利ではなかったから定期預金は定額貯金にも

それなりに利子がついたな…

とはいえ、私の貯金だけでは足りません!!

実際、ここは夫の力が大きかった。

今思えば「よく出してくれた…」

アラフォー妻の夢によくぞ付き合ってくれた…と思っています。

3. その投資に見返りはあったか?

ありました。私の場合は断言できます。

1997年に帰国したあと、こどもたちが小学校の間は、

  • フリーランスの翻訳者
  • 国会議員の秘書(パートタイマーで事務)
  • 非常勤の区職員(週4日勤務)
  • NGO(非営利団体)フルタイムだけど残業なし

という職場を経て、すこしずつ外での勤務時間を増やしていきました。

ただ、日本の組織・社会にいる限り、基本「終身雇用・年功序列」の社会なので

私のように中途で非正規、という状態ではなかなか収入は増えませんでした。

でも、NGOに入った時にやっとフルタイムの「正規職員」になりました。

そこの応募条件が「40歳以上」という

不思議な(クライアントがもっと高齢だったので、

「落ち着いた人がいい」ということだったらしい…)

職場だったのです。

フルタイムになってそれほど高いお給料ではなかったけれど、

とりあえず持っていたスキル、

英語やコンピューターのスキルを生かして安定して仕事ができるようになりました。

そして残業がなかったので、その時間を生かして簿記2、3級の資格をとりました。

そして、次に同じ日本の組織でも、「実力主義」の組織に転職したのです。

そこで、年収が一気に倍増しました。

4. 大学院の勉強は役に立ったか

コロンビア大学大学院で学んだ「紛争解決」とか

「国連の役割」とか「女性の地位向上」とか

「子供の人権を守るためにどうすればいいのか」とか、

個別の研究や講義が直接何かに応用できたかというとそういうわけではありません。

大学の授業だって、教養科目がどれだけ実務に役立つかなんてわからないと思います。

でも、問題解決の姿勢、何かに取り組む集中力、いつまでも学ぶ姿勢、

英語力は私のなかで少しずつすこしずつ蓄積されていたのだと感じています。

「学校の勉強が何の役にたつの」なんて、勉強したくないこどもは聞くし、

私だって高校のころは自分の努力不足を棚にあげて

「微分や積分ができたところで将来、使わないじゃーん」と言っていました。

学ぶ内容それ自体が大事なこともあります。

だけど、すぐに役立たないこともあるけれど、

役立つのは「学ぶ姿勢を維持すること」なんじゃないかな。

最後に転職した先の待遇がよかったのは、もしかしたら運がよかっただけ、

かもしれませんが、その運を引き寄せたのは私自身、だと信じています。

ちなみに、入社試験のひとつに教養試験があり、英語のみならず「因数分解」の問題がありました。

大人になったら普通忘れていますが、たまたまこどもの勉強をみていたので公式を覚えていました。

こういうのもセレンディピティですよね。

5.まとめ

「大学院まで出て、このお給料かぁ」と嘆いた時代もありました。

確かに日本の組織にずっと属していなかったので、年功序列の恩恵にはまったく与れないし、

当時は英語を公用語にしようという日本企業もなかったし、

また、私の学位は当時流行っていたMBA(経営学修士)ではなく、MIA(国際関係学修士)でしたから

外資の証券会社とかには振り向いてももらえなかったもは事実です。

かのリーマンに応募書類を出したこともありますよ。面接にさえ進めなかったけれど。

まあ、先のことはまた切り開いていくことにして、とにかく、アメリカの大学院に払った500万円、

ペイしていると思います。これが結論。

それに、私にとっては、「子ども時代の夢を叶えることができた」本当はそれだけでもpricelessなのですね。

卒業できてよかった…

この後、勉強や試験のことを書いていこうかと思います。

半端なくやりくり、大変でした!(続く)

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この記事を書いた人

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大野 清美

1958年大阪生まれ、大阪育ち。子どもの頃の夢だった「留学したい」を37歳で実現。3児を育てながら米国NY州コロンビア大学国際関係学大学院を卒業しました。帰国後は英語を使って仕事を続け、今後は「自分の人生を変えてきた」英語を教えたい!と修行中です。
趣味はマラソンとモーターバイクでのツーリング(愛車Honda VTR)です。
(2019年4月記)