がん治療とマラソン 2014年〜2015年 抗がん剤治療を受けながらマラソンを走りきったお話

2017年レースの始まりは10月7日の東京30Kです。

あまり調整できていませんが、何とか出場してみようと思います。

走るといろいろ思い出すことがあります。

これまでも何度かブログに書いてきたことなので、既知の方も多いですが、

シーズンが始まると思い出すのでまた振り返りたくなりました。

2014−2015年にかけて、抗がん剤治療をしながら東京マラソンを

走りきりました。

その話について書きます。

1. 抗がん剤治療の告知

右乳房がんを告知されたのは2014年6月。

その数ヶ月前、55歳で迎えた初フルマラソンを

4時間38分という好タイムで走りきり、

まだまだ右肩上がりに記録が上がると信じて練習を続けていた頃です。

定期検診で右乳房に「石灰化」が見つかり、精密検査の結果、

乳がんと診断されました。

告知され2週間後の7月七夕にはすぐに手術しました。

部分麻酔ですむ、5ミリ程度のがんでした。

その時は放射線治療をすれば、私のがん治療は終わる、と思っていました。

その後、手術で切り取ったがんの病理検査で、

悪性度の高い、「微小乳頭浸潤」がんであることが判明。

医師は「抗がん剤治療」をする、と言うのです。

がんの告知についてはあまりショックを受けませんでしたが

(いまはがんは治る病気だと思っていたので)

抗がん剤治療についてはとてもショックを受けました。

その治療を受けると、生活の質が落ちると直感したからです。

2. 東京マラソンに当選していた

「抗がん剤治療」を告知されるしばらく前、

東京マラソンの先行抽選に当選していました。

なので、抗がん剤治療については、「やりません」と宣言していました。

医師は「まあ、よく考えてください」と言い、いったん保留。

(でも、絶対抗がん剤治療を受けさせる決意をしていた)

とりあえずは放射線治療が始まったのです。

放射線治療は、7月から8月にかけての6週間。

自分は抗がん剤治療を受けないつもりでいたので、

放射線治療中も「マラソンに出るつもりで」練習していました。

3. 揶揄する人も

私のありとあらゆる抵抗にも関わらず、最後には医師の説得に屈して

抗がん剤治療は始まりました。

一回目の投与から5日目ぐらいから体調はまたたく間に悪くなりました。

口内炎ができて食べられない。

2週間後には髪が抜け始める。

全身が乾燥してかきむしるほど痒くなり、

夫には毎日全身に痒み止めクリームを塗ってもらうようになりました。

でも、「2015年2月の東京マラソンのスタートラインに立つ」という決意は

変わりませんでした。

そんな練習をしている私をバカにして

痩せて鶏ガラのようになった姿を「みっともない」という人もいました。

ドリームキラーです。

「そんな身体で走れるわけがない」

大きなショックを受けました。

女性に「醜い」は禁句です。

しかも、その醜さの原因は、「がん治療」のため、

私自身に何の罪もないはず。

食べ物の味もわからなくなり、

口内炎ができて痛くてろくにご飯が食べられなくなった結果なのです。

小林麻央さんが乳がんで闘病していて末期に近い頃(2017年5月21日)、

自分の姿を鏡でみて

「恐れていた姿」と泣いてしまった、というページがありますが、

麻央さんのブログ: 痩せる

その気持ちとてもわかります。

4. 感謝の気持ちで始めたブログ

東京マラソン当日、

都庁の前を駆け抜ける時、

涙が出そうになりました。

でも、「始まったら終わるまで走らないといけない」

ので、

感傷に浸る暇もなく、

今度は38キロ地点で応援のために幟をたてて待っていてくれている

仲間に会うために走り続けました。

一人一人の応援が

私の一歩一歩を後押ししている、

応援がこれほど人に力を与えるのか、と

一歩進むごとに実感しました。

家族ももちろん、一日中、朝からゴールまで地下鉄を乗り継いで

私の走るコースを追ってくれました。

マラソンが終わってひと月後、私はその時の感謝の気持ちを仲間に伝えたいと、

ブログを始めました。

5. 生きています

まさに「死にものぐるい」で練習した日々から

3年経ちました。

再発もせず、

生きています。

そして走っています。

初フルマラソンの時の記録がいちばんよくて(すごくたくさん練習した)、

その後はやりたいことがさらにいっぱい出てきたので

練習に割く時間が減って「鳴かず飛ばず」の記録に終わっていますが、

その状況を打開すべく

「主婦をやめて一人暮らしを始めました」ので(よろしければ以下の記事もお読みくださいね)、

これからすこしは「鳴いたり飛んだりする」記録を出していきたいとおもっています。

再発可能性が高いがんであると聞いています。

でも、「断食」したり、

「にんじんリンゴレモンジュース」を朝食にしたり、

石原結實先生の推奨する食生活を守っています。

また、「女性ホルモン」ががんに影響する、という話ですが、

走ることで「男性ホルモン」が出るので(石原結實先生の言葉)

「(あなたの場合)、ランニングをすることはがん予防に役立ちます」

と言われています。(ひとそれぞれなので、鵜呑みにはしないでくださいね)

がんは、私にいろいろなことを教えてくれました。

  • 感謝するこころ
  • 応援のチカラ
  • ドリームキラーは何も生まないということ
  • 断食を始めとする食生活の変化(実は朝食を「にんじんリンゴレモンジュース」にしたことで50年苦しんだ便秘がすっかり治りました)

今後何がどうなるかわかりませんが、

1日1日を大切にして

「生きている」ことに感謝し続けたいと思います。

主婦をやめて〜は長いお話なので、以下に。

主婦をやめて一人暮らしを始めました(11) スピンオフ主婦 初めてのDIY その2 組み立て家具を組み立てる

主婦をやめて一人暮らしを始めました(10) 原点は「ひらり」

主婦をやめて一人暮らしを始めました(9) スピンオフ主婦 初めてのDIY その1

主婦をやめて一人暮らしを始めました(8) 一人暮らしを始めてできるようになったことを数えてみた

主婦をやめて一人暮らしを始めました(7)家族と私の変化

主婦をやめて一人暮らしを始めました(6)実務編 部屋のコンセプト

主婦をやめて一人暮らしを始めました(5) 実務編 不動産屋に飛び込んだ日から鍵をもらう日まで

主婦をやめて一人暮らしを始めました(4) そのわけは?「周りの反応」編

主婦をやめて一人暮らしを始めました(3) そのわけは?「やりたいことがあふれてしまった!」編

主婦をやめて一人暮らしを始めました(2) そのわけは?「気になる気になる」編

主婦をやめて一人暮らしを始めました(1) 「勉強部屋がなくなった!」編

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この記事を書いた人

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大野 清美

1958年大阪生まれ、大阪育ち。子どもの頃の夢だった「留学したい」を37歳で実現。3児を育てながら米国NY州コロンビア大学国際関係学大学院を卒業しました。帰国後は英語を使って仕事を続け、今後は「自分の人生を変えてきた」英語を教えたい!と修行中です。
趣味はマラソンとモーターバイクでのツーリング(愛車Honda VTR)です。
(2019年4月記)